書評:浦野起央『国際関係理論史』

勁草書房、1997年、xiv+415ページ


 本書は、浦野起央博士(日本大学法学部教授)の北京大学国際政治学部における1995年の講義をもとに執筆されている。日本語版(勁草書房)、中国語版(北京大学出版社)、韓国語版(ピックアソリ社)が刊行される。日本の研究者の著作が、日本語版とほぼ同時に、海外でも出版されることは、とても喜ばしいことである。本文の論述はもちろん、本書の詳しい文献目録を通じて、浦野氏のみならず、その他の日本人の業績が海外に紹介され、広く読まれることになるからである。なお、この書評は日本語版を参照している。

 本書のもとになった北京大学での講義や、本書の外国語訳の出版は、前著が韓国語に翻訳され(注1)、これを読んだ韓国の学生が浦野氏のもとに留学し、交流を深めてこられたことや、中国への10回にもなろうとする訪問をふまえて実現したものである。「序文」の浦野氏によると、一連の活動は日本の戦略環境を考えたうえでの行動だそうで、理論を机上で終わらせず、実践に結びつける姿勢には敬服する。やや長くなるが、序文から引用したい。 

「その私の行動には、私なりの極東における安全保障の理念が働いていた。〔中略〕現在、私にとって、中国大陸の問題、日本と中国の関係が大きな課題となっており、それは、日本のアジアにおける、そして世界における生存と役割は、島嶼国家日本の海上権力の位置づけにあるとともに、大陸国家中国の陸上権力との調整こそが最大の存在条件を形成していると理解しているからである。日本の対外政策は、これまでのかかる対外認識にもかかわらず、海上権力たる日本の陸上権力の中国に対する、あるいは半島国家の韓国に対する関係の認識と処理において、多くの錯誤を繰り返してきた。私の朝鮮半島への関心も、そうした日本の知恵を見出し確認し直すところの実践に始まっていた。日本が陸上権力との調整に成功できれば、日本の生存は可能となり、日本としてもアジアの共存繁栄を享受しこれに寄与することができ、そこにおける日本の役割もこれを踏まえた形で十分発揮できることになる。こうした日本の国際的視点、つまり日本の海上権力としての自覚と大陸権力及び半島国家に対する理解と政策調整、その基礎にある海上権力と陸上権力の文化的・精神的共同体としての認識こそ、われわれが取り組むべきべき最大の課題の1つである、と私は理解している。この日本の立場こそ、日米関係を基軸とした日本のアジア共存の基本であると考える。」(i〜iiページ)

 このような問題意識のもとにまとめられた本書の内容は、『国際関係理論史』の題名に簡潔に示されているとおり、国際関係理論の展開を歴史的に通覧する好著である。その守備範囲は時間的・空間的に非常にスケールの大きなもので、著者の博覧強記がうかがえる。国際政治の起源を古代世界に求め、ギリシアのペロポネソス戦争や、中国の春秋戦国時代の孫子・韓非子、インドのウマイヤ朝チャンドラグプタの宰相カウティルヤを扱うことはそれほど珍しくないが(注2)、中世のトマス・アキィナスやルネッサンス期のダンテ、近世初頭のライプニッツらに一節を設けて論じるのは、政治思想史ではともかく、国際関係の理論書ではあまりみかけない意欲的な取り組みである(注3)。本書は、このように古代の国際政治思想から説き起こして、中世・近代を経て、1990年代の国際関係理論までを概説している。空間的にも、英米の著作に限らず、広く世界の文献を渉猟しているのが、本書の特徴のひとつである。各節末に設けられた文献リストに、外国語文献に対しては存在するものはほとんどすべて網羅したと思われる翻訳書の案内がついており、評者がここで初めて翻訳があることを知ったものも少なからずあった。専門研究者は、原語で読むであろうが、特殊な言語で書かれた文献は参照したいと思っても、その地域の専門家でないと近づけない場合もあるし、また、学部生や一般社会人へのガイドとしても、翻訳文献の紹介はたいへん有意義である。 

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 目次だけでも10ページになる本書は、3部構成と補論からなる。第1部は「現代国際関係論の流れと方法」と題され、1.1章「現代国際関係理論の系譜」では、古代・中世・近代・現代の国際政治思想が概観される。扱われるのは、すでに触れたトマス・アキィナスをはじめ、グロティウス、ホッブズ、スピノザ、ヒューム、アダム・スミス、ルソー、カント、バッテル、ヘーゲル、マルクス、レーニンらに及ぶ。1.2章「現代国際関係理論の取り組み」では、地政学、冷戦、現代革命論、核戦略論、グローバリズム(地球政治)、地球的問題群、文化多元主義、文明の衝突論などが検討されている。

 第2部は「現代国際関係論の座標」で、2.1章「現代世界の新次元」では、現実主義と理想主義の論争、現実主義・多元主義(リベラリズム)・グローバリズム(マルクス主義)の三大理論群の鼎立状況、戦後国際関係論の分析手法などが手際よくまとめられている。2.2章「現代国際関係理論の方法」では、外交論、システム分析、ゲーム論、認知科学手法、内容分析(Content Analysis)とデータ相関分析(Data Correlation Analysis)、地域研究などが、実証研究とともに紹介されている。

 第3部は、北京大学で講じられた部分であり、「現代国際関係理論史」の表題のもとに、1940年代の理論、50年代の理論、60年代の理論、70年代の理論、80年代の理論、90年代の理論と、10年単位で整理されている。そのテーマは、勢力均衡論、帝国主義論、重商主義、近代化論、開発戦略、比較政治、国際コミュニケーション分析、政策決定論、国際統合論、平和研究、従属論、相互依存論、世界システム論、覇権安定論、国際レジーム論、グローバル・ガバナンス論など多岐にわたる。

 補論として、「現代国際関係論の展望 - 21世紀国際関係論のシナリオと課題」が付され、(1) グローバル・ガバナンスの政策課題、(2) 国民国家体系の将来像、(3) 人権基準の位置、(4) 政策課題としての自由経済、(5) 新しい開発支援の課題、(6) 価値実現の課題としての民主主義、(7) 担い手としてのローカル・イニシアティブ、(8) 包括的安全保障の課題、の8点が政策提言に近いかたちで論じられている。 

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 本書を通読して気になった点を若干指摘しておきたい。まず、第3部の叙述であるが、1950年代の理論として、近代化論、開発戦略、比較政治研究等が論述される中で、1990年に出版されたハンチントンの『第三の波』(注4)に、注ではなく本文中に一節を割いて言及するなど、章立ては10年ごとの整理になっているのに、内容はそれとは違う構成になっていた。このような例は、このほかにも多くみられた。このほうが記述の流れが自然であるし、一般に読むほうにとっても理解しやすいが、「現代国際関係理論史」という表題や章立てとのずれを感じて、違和感をおぼえた。目次をみて、戦後国際関係の理論展開を通時的に把握したいという意図で本書にあたると、戸惑うかもしれない。

 本書には100の表と125の図が掲載されているが(巻末に図表一覧を完備している)、本文中に一切説明がなく、図表だけが掲げられているものが散見された。なかには図表だけでは、理解できないものも見受けられた。また、本文の論述でも、ひとつひとつの項目をごく簡単にしか触れていないものが多く、隔靴掻痒の感は否めないところがあった。たとえば、孟子の小国論(239ページ)やスンケルの構造分析(317ページ)の小節はタイトルを含めて5行しかなく、ブローデルの世界文明論(112ページ)は7行、レーニンの帝国主義論(25ページ)は8行など、ひとつの事項の扱いが1ページに満たないものが少なからずあった。紙数の制約のほかに、ひとりの研究者による著作であり、上述のとおり広大な領域にまたがる問題設定をもった本書においては、執筆者の専門から距離がある場合も存在するのは理解できる。しかし、本書には同著者の既発表の論考と重複する部分もあり、取り扱う論題の数を減らしてでも、それぞれのテーマについて、より豊かな内容を盛り込むほうがよかったと感じた。 

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 1980年代後半から90年代にかけて、国際関係理論は大きな転換期を迎えている。直前までほとんどだれも予測できなかったソ連邦の崩壊と冷戦の終焉や、グローバリゼーションやエスニック紛争等、従来の国民国家体系の枠内では理解できない問題群の登場など、方法論的反省の理由はいろいろある。このなかで、本書ではまったく触れられていないが、無視できない要素がある。いわゆる「ポスト実証主義論争」(Post-Positivist Debate)である。近年、ポストモダニズム、フェミニズム、コンストラクティヴィズムなど、新しいアプローチが国際関係理論に導入されてきたのも、このような文脈においてである。これらの新理論群についても、本書ではまったく取りあげられていない(注5)。

 

 

 現在、実証主義者(あるいは合理主義者[Rationalists])とポスト実証主義者(あるいは自照主義者[Reflectivists])が、学界を二分する形で対峙している(図)。これまで世界は観察者とは独立に、客観的に存在すると信じられ、理論はこの「客観的現実」(the world "out there") をとらえ、「真理」にいたる道を提供すると考えられてきた。このような素朴な見方に異を唱え、「客観」の姿をありのまま鏡のように映すと考えられてきた概念や理論の歴史性・恣意性を指摘し(注6)、その反省知のうえに社会理論を構築しようとするのが、ポスト実証主義者の立場である(注7)。ポスト冷戦期を迎え、世界に平和が訪れるかにみえた、まさにそのときに世界に頻発したエスニック紛争をみるにつけ、「民族」や「文化」、「アイデンティティ」といった人類による社会的構成物、また、人間が世界をいかに認識し自己規定するかという側面が、国際関係を強く支配していることをあらためて思い知らされる(注8)。今後の国際関係理論は、極端な実証主義と過度の相対主義を排しつつ両陣営を架橋する、コンストラクティヴィズムを中心として発展していくのが、建設的な方向なのではないか。少なくとも、その可能性を探る価値があるのではないか。本書に改訂版や続編が出るならば、これらの点に論及していただけることを、評者は期待している(注9)。

 

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注1) 浦野起央『第三世界の政治学』有信堂 初版1977年 全訂版1980年(韓国版はチンヨンムファ社から)。浦野起央『国際関係論の再構成』南窓社 初版1985年 全訂増補1989年(韓国語版は民族文化社から)。本文に戻る

注2) たとえば、K. J. Holsti, International Politics: A Framework for Analysis (Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall, 1967). (宮里政玄訳『国際政治の理論』勁草書房 1972年)。本文に戻る

注3) このような傾向の例外として、Torbjソrn L. Knutsen, A History of International Relations Theory (Manchester, UK: Manchester University Press, 1st ed., 1992/ 2nd ed., 1997).本文に戻る

注4) Samuel P. Huntington, The Third Wave (Oklahoma: University of Oklahoma Press, 1990). (坪郷實ほか訳『第三の波』三嶺書房 1995年)。本文に戻る

注5) 外交論(141〜143ページ)でダリアンが扱われているのは例外的であるが、彼の議論の核心をなすニーチェ的系譜学については、まったく言及されていない。James Der Derian, On Diplomacy: A Genealogy of Western Estrangement (London: Basil Blackwell, 1987).本文に戻る

注6) Richard Rorty, Philosophy and the Mirror of Nature (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1979). (野家啓一監訳『哲学と自然の鏡』産業図書 1993年)。本文に戻る

注7) ポスト実証主義陣営といっても、それは決して一枚岩ではなく、その内部での哲学的・理論的対立には厳しいものがある。ポスト実証主義論争の関連文献は膨大であるが、たとえば、Steve Smith, Ken Booth, and Marysia Zalewski, eds., International Theory: Positivism and Beyond (Cambridge: Cambridge University Press, 1996), Mark Neufeld, The Restructuring of International Relations Theory (Cambridge: Cambridge University Press, 1995), Jim George, Discourses of Global Politics: A Critical (Re)Introduction to International Relations (Boulder, CO: Lynne Rienner, 1994) などを参照。本文に戻る

注8) Yosef Lapid and Friedrich Kratochwil, eds., The Return of Culture and Indentity in IR Theory (Boulder, CO: Lynne Rienner, 1996). Thomas J. Biersteker and Cynthia Weber, eds., State Sovereignty as Social Construct (Cambridge: Cambridge University Press, 1996).本文に戻る

注9) 本書の姉妹編として、『国際関係理論史研究案内』の刊行が予告されている。本文に戻る

 

(中沢 力)

発表:『アジア経済』1998年3月号。

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