―――環境・人権・女性
Ann Marie Clark, Elisabeth J. Friedman, and Kathryn Hochstetler, The Sovereign Limits of Global Civil Society: A Comparison of NGO Participation in UN World Conferences on the Environment, Human Rights, and Women. (World Politics, Vol. 51, No. 1, October 1998, pp. 1-35.)
近年、NGO(非政府組織)や社会運動の国境横断的活動に関心が集まっているが、その意義と役割に対する評価は定まっていない。リアリストは、依然として国民国家が世界政治の中心に位置し、NGOは脇役に過ぎないと論じる。これに対して、グローバルな社会交流は「世界市民社会(global civil society)」と呼ぶにふさわしい密度と重要性を持ち、NGOや社会運動は国家の相対的自律性を制限する新しい行為主体になっていると主張する脱国家論者も存在する。
本論文で、クラーク(米パーデュ大学助教授)、フリードマン(コロンビア大学バーナードカレッジ助教授)、ホッチステッター(コロラド州立大学助教授)は、環境・人権・女性問題を議題とする国連主催の国際会議へのNGOの参加程度を観察して、世界市民社会が誕生しているといえるかどうかを、実証的に検討している。その結論は、世界市民社会構築が進行していることを認めつつも、国家主権に阻まれてNGOは重要な意思決定の場面から閉め出されており、世界市民社会の完成にはほど遠い、というものである。 彼女らは、まず世界市民社会を定義することから議論を始めている。世界市民社会は文字通り、「世界」・「市民」・「社会」の三要素から成る。社会関係が「世界的(global)」と言えるためには、経済的・社会的・文化的実践が地理的に世界大の広がりを持たなければならない。この「世界的」という概念は、従来の「国際的(international)」概念や「脱国家的(transnational)」概念とは区別される。非国家主体の多様な地域からの参加を求める点で、国家同士の相互作用が増大していることを表す「国際的」関係や、国家間関係に少なくとも一つの非国家主体が加わる「脱国家的」関係よりも高いハードルを、「世界的」という用語は要求している。
「市民的(civil)」と呼ぶための要件は、グローバルな相互作用に非国家主体が恒常的に参加し、NGOが国家や他のNGOにアクセスする手続きや手段が確保されていることである。国境を超えて活動するNGOの数が増大するだけでは、不十分とされる。
「社会的(social)」関係は、単なる利得計算によるのではなく、価値観の共有を前提とする。社会関係について完全な合意は必要とされないが、参加者相互の関係や実質的な問題に対する共通理解に基礎をおく。クラークらは、因果関係や社会問題の解決法に関する参加者の信条を「枠組み(frames)」と呼び、NGOと国家、さらにNGO同士の間に共通の枠組みが見られるかどうかを、世界市民社会成立をみる重要な指標の一つとしている。
以上のように世界市民社会を定義したうえで、主に一九九○年代に国連主催で行われた環境・人権・女性問題の国際会議(国連環境開発会議[九二年、リオデジャネイロ]・世界人権会議[九三年、ウィーン]・世界女性会議[九五年、北京])を、それ以前に同一テーマで開催された国際会議と比較しつつ、NGOの参加を質量両面から評価し、その結果を付表「世界市民社会―期待される特徴と経験的発見」のようにまとめている。NGOは準備会合などでは国家から意見を求められることも多く、活躍の機会が与えられたが、最終文書の採択に関わる場面では政治過程への参加を拒否されるなどして、国家によるNGOの恣意的な利用が目立ったという。新しいグローバルな課題に、新しい参加者が加わる、新しい種類の国際会議にも関わらず、国際政治は国家による伝統的な制約の下にあり、主権国家が世界市民社会の限界を決めている。 本研究は、世界市民社会論を実証的に検討して、国家ではなく市民が世界政治の主体になりつつあるという極端な議論を退ける結果となった。評者は、この結論に異議を唱えるつもりはないが、研究対象をあらかじめ国連主催の国際会議に限定したことからくる限界もあると考える。世界市民社会現象の全体像を捉えるためには、環境・人権・女性問題、その他のグローバルな課題に対する実質的な意思決定がどのような場で、どのような行為主体によって、いかに行われているかを解明するような研究枠組みが求められている。こうした視点を持って初めて、世界政治における実質的権力が、依然として国家に集中しているのか、それとも多様な主体に分散し、国家の役割が相対的に低下しているのかを見極めることができるだろう。(次の論文が参考になる。小林誠「アンティリアリズムのパワー・サイト―国際政治における国家と社会―」『國際法外交雑誌』、一九九九年二月号、一〜三三頁)。
(中沢 力)
発表:『国際問題』1999年7月号