国際的道義行動の解明:

―――英国奴隷貿易廃止運動の事例

Chaim D. Kaufmann & Robert A. Pape, Explaining Costly International Moral Action: Brintain's Sixty-year Campaign Against the Atlantic Slave Trade, International Organization, Vol. 53, No. 4, Autumn 1999, pp. 631-668.


 国際社会にはある行為を禁止するルール、いわゆる「禁止レジーム」が存在する。例えば、海賊行為、麻薬取引、絶滅のおそれのある野生動植物の国際取引、オゾン層を破壊する物質の排出、対人地雷の使用などが条約等を通じて禁止、ないし規制されている(拙稿「地雷問題に立ち向かう脱国家市民社会」、参照)。本稿で扱う奴隷貿易の廃止も、このような禁止レジームの一つである。

 国際レジームの形成に関する理論として、これまで三つの立場が対立してきた(山本吉宣「国際レジーム論―政府なき統治を求めて」『国際法外交雑誌』1996年4月号参照)。大国のパワーに説明を求めるリアリズム、主要国家間の利益一致と国際制度の機能に着目するリベラリズム、社会を変える理念の力を重く見るコンストラクティビズムである。

 1807年に英国が単独で廃止に踏み切り、その後世界全体に広まった奴隷貿易の廃止は、リアリズムやリベラリズムでは説明できない特異な事例である。英国は自国の物質的な利益(人命、国家安全保障、経済的利益)を犠牲にし、かつ、そのコストのほとんどを同国一国が負担して実施されたからである。カウフマン(米リーハイ大学準教授)とペイプ(シカゴ大学準教授)は、基本的にコンストラクティビズムに依拠しながらも、従来のコンストラクティビズムの不十分な点を指摘し、一般化可能な仮説を提示している。

 カウフマンとペイプは、論文の表題にもなっている「高い費用のかかる国際的道義行動 (costly international moral action:以下、CIMAと略記)」を次のように定義し、そのような中でも英国の奴隷貿易廃止運動を、最も費用の高くついたケースであるとしている。CIMAとは、(1) 自己利益増進のためではなく道義的原則の前進を企図するのみならず、(2) 実施国市民の物質的利益を損なうような行為である(第一番目の条件だけを満たすものは、単に「国際的道義行為」と呼ばれる)。

 英国海軍は、1819年から1869年までの奴隷貿易を取り締まる海上警備作戦で約五○○○名の人命を失っている。また、奴隷貿易のユニラテラルな(一国主義的な)廃止は、それを英国の海上支配の方便にすぎないと見るフランスやアメリカとの外交関係を悪化させ、国家安全保障上の問題を引き起こした。さらに、奴隷労働に依存する西インド諸島植民地の砂糖生産者や高い商品の購入を余儀なくされた消費者が被った経済的コストは、1808年から1867年の平均で、毎年、国民所得の1.78パーセントに及んだ。これは、今日最も寛大な発展途上国支援を行っているとされるノルウェーの政府開発援助(ODA)が同国GNPの平均1パーセント、そのうち約0.8パーセントがひも付きでない(アンタイド)援助であることと比べても、いかに大きな経済的負担であったかが分かる。

 リアリストによればCIMAとされるものの多くは、実際に19世紀のフランスやアメリカがそう考えたように、実施国の国益をカモフラージュするレトリックにすぎない。このような行動がとられるためには、次のような実行困難な条件を満たさなければならない。第一にすべての重要な軍事大国が参加すること、第二にそれら諸国間でコストが公平に負担されることである。なぜなら、世界政府の存在しないアナーキーな国際社会では、パワーは相対的な概念であり、不均衡な負担は国家間のパワーバランスを変えてしまうからである。カウフマンとペイプは、英国の奴隷貿易廃止にはこのような条件は存在しなかったし、英国が物質的利益の喪失を認識していなかったのでもないとして、リアリズムによる説明を退けている。

 リベラリストも、物質的な利益に基づいて国家行動を考えるので、CIMAの動機を説明できない。しかし、リアリズムと比べて、リベラル制度主義は国際協調の可能性に楽観的である。それは国際制度が、国家の道義的行動が実際には利己心の隠れ蓑ではないのかという他国の疑念を弱め、また、負担分担を監視してただ乗り問題を軽減するためである。だが、リベラリズムもここでは役に立たない。というのも、英国は当時の支配的規範に反する行為を、単独で実行したからである。むしろ、他国の協力が得られなかったために、問題が民族主義的に捉えられて、英国のCIMAへの決意はより強固になり、英国人に「われわれが世界を導いてやる(We must show the world)」とまで言わせたのである。

 これまでコンストラクティビズムはCIMAを、脱国家主義(transnationalism)と四海同胞主義(cosmopolitanism)から説明してきた。人権といった「原理的理念(principled ideas)」や国際NGOなどが作り出す「脱国家的唱道ネットワーク(transnational advocacy networks)」をキーコンセプトとするトランスナショナリズム。個人が所属する階級・人種・国家等よりも、人類共同体の一員としての道義的責任を強調するコスモポリタニズム。しかし、カウフマンとペイプは、これらはコンストラクティビズムに必須の要素ではないと主張する。また、従来のコンストラクティビストの実証研究は、国内政治を無視してきたと批判する。トランスナショナリズムとコスモポリタリズムは彼らの研究した事例にはほとんど見られず、むしろ理念と国内政治との相互作用が重要であると述べている。

 19世紀の英国奴隷貿易廃止運動をめぐる国内政治過程の詳細は、本論文を読んで頂くしかない。ここでそのエッセンスを単純化して紹介すると、宗教的信念から英国社会の腐敗を憂い、奴隷貿易を英国社会自身の問題と捉えてその廃止を求める反国教会派が、たまたま当時の国会でキャスティングボードを握り、内閣が政権維持の観点から、国家の物質的利益に反して、奴隷貿易廃止を断行したという。

 本ケーススタディから導かれたCIMAに関する一般化可能な仮説として、彼らは「神聖な協力モデル(saintly logroll model)」を提唱する。国内政治過程において、神聖な協力(道義的行為唱道者と政権保持者との同盟)が形成されやすい条件は、次の三点である。第一は支配エリートの政治的要請であり、彼らの政治権力掌握が不安定であり、失脚の恐怖が強いほど「神聖な協力」が生まれやすい。第二は、「聖人(saints)」と同盟することにより、支配者の正統性が強化されることであり、道義的訴えが一般市民の支持を獲得することである。第三は、「聖人」たちが二つ以上の政治勢力と連携できる能力を持つことである。それには、彼らが唱道する道義的行動以外の課題に対して、極端な要求をせず中庸の立場であることが望ましい。

 歴史学は言うに及ばず、国際関係論の枠内でも奴隷貿易廃止運動には優れた先行研究がある(James Lee Ray, "The Abolition of Slavery and the End of International War," International Organization, Vol. 43, No. 3, 1989)。しかし、レイは奴隷貿易が姿を消したのは、人類の道徳的進歩により、奴隷制度に反対する規範が強くなったからだと言うだけで、どのようにしてそうした規範が生まれたのか、その社会的メカニズムを十分に解明しなかった。カウフマンとペイプ自身が認めるように、一つの事例からの一般化には無理があるが、多くの事例研究を積み上げてゆけば、パワーや利益だけでは説明できない国際関係の側面に対するわれわれの理解は深まってゆくだろう。

(中沢 力)

発表:『国際問題』2000年4月号

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