―――新しい中世とポストモダン・デジタル世界経済
Stephen J. Kobrin, Back to the Future: Neomedievalism and the Postmodern Digital World Economy. (Journal of International Affairs, Columbia University, Vol. 51, No. 2, Spring 1998, pp. 361-386.)
冷戦秩序崩壊直後に話題を呼んだ「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という論文があったが(John J. Mearsheimer, "Back to the Future: Instability in Europe After the Cold War," International Security, Vol. 15, No. 1, 1990, pp. 5-56)、同じタイトルを持つ本論文は、ポスト冷戦論よりいっそう歴史的射程を広げて、ポスト近代の世界秩序を考察しようとするものである。コブリン(ペンシルバニア大学教授)によると、われわれは世界政治経済秩序の大きな変動期を迎えつつあり、これは16〜17世紀の中世から近代への変化に匹敵するものだという。そして、次の世界秩序はある意味で中世世界に似たものになる、とコブリンは主張している。
本論文で言う「ポスト近代」とは、主権国家を中心としたウェストファリア体制を越える世界秩序が現れつつあるという状況判断であり、フランス哲学のポストモダン論とは必ずしも関係しない。近代の世界秩序は、領土的主権・国境・国内と国際の区別などを特徴とし、国民国家とともに発展してきた。領土的主権原則の下で、世界は地理的に明確に区切られ、相互に排他的な支配権をもつ国家によって統治されてきた。政治経済の統御も、地理的支配を基盤としてきた。ところが、国際金融やインターネット、そして両者の結びついた電子マネーや電子商取引の領域に先駆的に現れているように、経済は世界を一つに結ぶ電子的ネットワークに統合されようとしている。電脳空間(サイバースペース)と地理的空間(ジオグラフィック・スペース)、電子的に統合された世界経済と地理的に固定した領土的国民国家、要するに経済と政治の不均衡が増大しているのが、今日の世界である。国家が消滅するわけではないが、領土主権に基礎をおいた政治経済の統治効率は低下し、国家は多くの統治機構の一つにすぎなくなるだろう。
コブリンは来るべき世界秩序の特徴を、次の六点にまとめている。(1)空間・地理・境界、(2)権威の曖昧性、(3)多元的な忠誠心、(4)脱国家的エリート、(5)公共財と私有財の区別の不明確化、(6)信条体系の統一と超国家的集権化、である。以下、各ポイントを簡単に紹介したい。
第一の特徴は、海外直接投資や多国籍企業同士の戦略的提携などによって、企業や商品の国籍が不明瞭になる点である。さらに、サイバースペースを使った商取引は、経済活動を地理的空間から解放する。その結果、法の適用と税の徴収などに、これまでの枠組みでは対処できない問題が生じる。
第二の特徴として、国家以外の政治主体の登場を挙げている。EU(欧州連合)を典型とする地域機構、WTO(世界貿易機関)やIMF(国際通貨基金)のような機能的国際機関、グリーンピースやアムネスティ・インターナショナルのようなNGO(非政府組織)などである。とくに、電気通信とコンピュータ技術の融合によって電子メールやホームページの利用が可能となり、NGOは政治的発言力を強めている。
第三の特徴は、これもコンピュータネットワークの発達によるものだが、地理的に離れた人々の間にコミュニティ(世界市民社会)が形成されつつあることである。世界秩序の観点から重要なのは、重複する忠誠心そのものではなく、環境問題に見られるように、政治的忠誠心・政治的アイデンティティが多元的になっている点である。
第四の特徴は、世界企業の経営者やインターネットに接続した市民が、世界的なエリート層を形成する可能性である。情報システムにアクセスできる者とできない者との階級的格差が広がるかもしれない。
第五点として、ポストモダン・デジタル世界経済においては、公共財と私有財の区別が曖昧になると指摘している。インターネットはパブリックとプライベートの違いを希薄にする。社会的インフラストラクチャとして公共財の性格を持つと同時に、基幹回線の敷設・管理・運営を行っているのは主に民間主体である。社会的有害情報の規制と表現の自由の問題、複製が容易なデジタル・コンテンツと知的所有権の問題、中央銀行による統制が困難な電子マネーと信用秩序維持やプライバシーの問題など、これらの領域に政府の介入がどこまで許され、また介入した場合、はたして実効的にコントロールができるのか等々、検討されなければならない課題は多い。
第六の特徴は、リベラリズム・デモクラシー・環境主義といった普遍的イデオロギーの流布と、国家を越えた世界大の権威への強い関心である。世界政府ではないが、領土国家を越えた、世界秩序維持のための権威が求められている。さもないと世界は、金融崩壊、環境破壊、疫病の蔓延、人口過剰、難民流入、正当な動機のない犯罪、私兵や民間安全保障会社の武装強化といった、文字通り無秩序な「暗黒時代」になってしまうかもしれない。
「新しい中世」というメタファーは、コブリンのオリジナルではない。周知の通り、ヘドレイ・ブルが20年以上も前に検討した概念である(Hedley Bull, The Anarchical Society: A Study of Order in World Politics, London: Macmillan, 1977)。近年、他の論者も同様の議論を展開しており(田中明彦『新しい「中世」―21世紀の世界システム』日本経済新聞社、1996)、それほど新鮮味はない。コブリンのオリジナルがあるとすれば、「新中世論」をデジタル世界経済に適用したことであろう。市場調査会社インターナショナル・データ・コープ(IDC)の最近のレポートによると、2002年までにインターネット関連世界市場は5,000億ドルの規模に達するという。経済のサイバースペース化は、今後ますます進展して行くだろう。未来の世界が「新しい中世」になるかどうかはわからないが、脱領域化した経済のガバナンスをどのように維持して行ったらよいのか、学際的な研究が必要な分野であることは間違いないだろう。
(中沢 力)
発表:『国際問題』1998年7月号
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