Yale H. Ferguson and Richard W. Mansbach, Global Politics at the Turn of the Millennium: Changing Bases of "Us" and "Them," (International Studies Review, Volume 1, Issue 2, Summer 1999, pp. 77-107.)
国際関係理論の国家中心モデルからの脱却とポリティ・アプローチを提唱するファーグソン(ラトガーズ大学教授)とマンスバック(アイオワ州立大学教授)の共同論文を、彼らの著作(Yale H. Ferguson and Richard W. Mansbach, Polities: Authority, Identities, and Change, University of South Carolina Press, 1996)を交えながら取り上げたい。文末に、ハンチントンの文明の衝突論への簡単なコメントを付している。
ポスト冷戦期の世界を統一的な枠組みの下で把握することは難しい。民主主義の拡大、自由市場の浸透、民族的意識と宗教的原理主義の急激な高まり、安全保障の多様化(国家間戦争の危険が低下する一方で、地球温暖化、新種病原菌、大量破壊兵器の拡散、脱国家的犯罪、テロリズムなどの脅威が増大している)など、国際関係論が取り組むべき対象は複雑化している。民族と国家、領土と国民意識を無条件に結びつけて考える、これまで支配的であった国家中心パラダイムは行き詰まっている。
ファーグソンとマンスバックは、グローバル化と地域主義が同時進行する世界の現状を「分裂/統合(fission/fusion)」と呼び、アイデンティティの多元化と、複数のポリティ間のアイデンティティをめぐる競合関係から、新ミレニアムの世界政治を解き明かそうと試みている。彼らは、領土国家概念を解体し、領土を政治空間に、国家をポリティ(政体)に置き換えて、国際政治を排他的な領域を持つ国家間の政治というイメージから解放する。これに代わって、オーバーラップする政治空間内で、国家を含むさまざまなポリティが、忠誠心の獲得をめぐって競争する世界を想定している。世界政治全体を統合する政治的権威は存在せず、争点ごとにさまざまなポリティが利益の権威的配分という意味での政治を行う。
ファーグソンとマンスバックは、ポリティを次のように定義している(Polities, Chap. 2)。ポリティは、独特のアイデンティティ、価値充足という政治目標のために人やその他の資源を動員する能力、一定の組織化と階層性を持つ(評者は、ポリティの要件として階層性は必須ではないと考えている)。ポリティは、単なる社会的ネットワークや交流・相互作用とは異なる。たとえば、マーケットは価値充足を行うが、明確なアイデンティティ(集団への帰属意識)や組織化、階層性を持たず、ポリティとは言えない。これに対して、家族や教会、ギルド(同業者組合)、部族、企業はポリティである。
「われわれは何ものか」というアイデンティティに対する問いが、政治理論の中心的な関心事となりつつある。市民や国民といった概念が、共同体の「内部」「われわれ」と「外部」「やつら」とを区別する自明の基準ではなくなっている。人は唯一のアイデンティティを持たず、その自己規定は活動の文脈によって多元的であり、流動的である。また、アイデンティティは生まれながらにして自然に備わるものではなく、社会的に獲得されるものである。アイデンティティと忠誠心、ひいては政治的権威の正統性は永遠不変ではない。人は利益(物質的利益に限らず精神的な満足感も含む)と引き換えに、集団に忠誠心を捧げる。しかし、忠誠に見合う利益配分をうまく行えない権威は求心力を失う。ここにアイデンティティをめぐるポリティ間の競合関係が生じる。このアイデンティティ・ポリティクスこそ、政治力学の本質をなすものの一つである。
領土国家とそれに付随するアイデンティティも歴史の産物である。約三○○〜四○○年前のヨーロッパ世界で、国家は他のポリティとの競合に勝利を収め、一定の領域を排他的に統治する権威を獲得した(Cf. Hendrik Spruyt, The Sovereign State and Its Competitors, Princeton University Press, 1994)。国家は他のポリティを武装解除し、唯一の合法的暴力装置となったが、強制だけでは支配は長続きしない。統治の正統性が必要である。ウェストファリア的国家は、領域内部の治安を守り、領域外からの脅威に対する防波堤となることで正統性を保持した。アイデンティティの一部を構成するナショナリズムも、「国民」を効率的に治めるために、エリートが教育などを通じて醸成したものであった。
ところが、グローバル化の進展とともに、国家の統治能力は低下し、人々の国家に対する忠誠心も衰えている。既存の国家より下位のエスニシティのために命を賭ける者もいれば、人権・環境保護・核廃絶といった普遍的価値を信奉して国際NGOに結集する者もいる。同じ国に暮らす隣人より、別の国に暮らす同業者に親近感を抱く専門職業人もいる。また、同一の個人が多元的なアイデンティティを持ち、それらを使い分けることも珍しくない。
国家が消滅するのではないが、国家が唯一の有力なポリティである時代は終わった。新ミレニアムにあたって世界政治の最も重要な課題は、アイデンティティと忠誠心に関して「国家の後退」(Susan Strange, Retreat of the State, Cambridge, University Press, 1996)がもたらす長期的な衝撃に対処することである。アイデンティティ・ポリティクスは、歴史的視野を持ち、継続よりも変化に注目する。今後の国際関係理論は、さまざまなポリティが繰り広げる支配や影響力、そして支配や影響力の源泉をめぐる研究に焦点を当てることになろう。
こうしたファーグソンとマンスバックの議論は、いまだに支配的思考枠組みを提供する国家中心主義パラダイムに対するアンチテーゼであるのみならず、アイデンティティに注目しながらも決定論に陥っている文明の衝突論(サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』集英社新書、二○○○年)に対しても有力な批判の足場を提供している。人々のアイデンティティは固定したものではないし、また唯一でもない。アイデンティティは流動的であるし、同時に複数持つこともありうる。直感的に感じ取っていた文明の衝突論のうさん臭さを、ファーグソンとマンスバックは知的に説明してくれた。
(中沢 力)
発表:『国際問題』2000年3月号