グラムシと国際関係理論

Randall D. Germain and Michael Kenny, Engaging Gramsci: International Relations Theory and the New Gramscians. (Review of International Studies, Vol. 24, No. 1, January 1998, pp. 3-21.)


 グラムシ(Antonio Gramsci, 1891-1937)は、イタリア共産党の創設(一九二一年)に参加し、二四年に国会議員に選出され、共産党書記長としてムッソリーニ率いるファシスト党と真っ向から対決したが、二六年に逮捕され、以後十年余り獄中生活を強いられて、釈放直後に亡くなった。獄中で書き留められた二九冊にのぼるノート、いわゆる「グラムシの獄中ノート」には、独特のヘゲモニー論、市民社会論が記されていた。

 グラムシは、ロシアで成功を収めた共産主義革命が、なぜ西ヨーロッパでは挫折したのかを考えた。それは、西欧諸国では権力が狭義の政治社会に集中しておらず、教会、学校、マスメディアなど市民社会に浸透しており、強制によらない統治、合意にもとづく支配が行われているからである、と分析した。ある統治形態を「自然」であり、当然であると受け止める「常識」を創りだす力、自発的同意を生み出す力、すなわちイデオロギー支配、文化支配をグラムシは「ヘゲモニー」と呼んだ。ヘゲモニーを共有するさまざまな階層からなる社会集団が「歴史的ブロック(historic bloc)」を構成する。ヘゲモニーが成立している社会に革命を起こすためには、前衛党が大衆を動員して一気に政治中枢を掌握する機動戦(wars of movement)ではなく、日常生活の慣習を形成する社会的土台を少しずつ着実に変質させていく陣地戦(wars of position)によらなければならない。この陣地戦は、「対抗ヘゲモニー(counter-hegemony)」を打ち立てることと同義であり、諸社会集団がヘゲモニー獲得のために闘争する主戦場であるところの市民社会に働きかけるために、「有機的知識人(organic intellectuals)」の役割を強調した。グラムシはマルクス主義を出発点としながら、その経済決定論を克服し、主に非社会主義国の左派知識人に多大な影響を与えた。

 国際関係論に、グラムシを紹介したのは、コックスである(Robert W. Cox, "Social Forces, States and World Orders: Beyond International Relations Theory," Millennium, Vol. 10, No. 2, 1981, pp. 127-155)。コックスは、現状の社会秩序を所与とし、その秩序を円滑に運営する手段の提供を目的とする「問題解決理論」と、既存の社会秩序を問題視し、秩序変革の可能性を探る「批判理論」とを区別した。そしてコックスはグラムシの思想を批判理論の基礎にすえて、次の二つの図式を示した。理念・思想(ideas)、物質的能力(material capabilities)、制度(institutions)の弁証法的相互作用と、社会的諸力(social forces)、国家形態(forms of state)、世界秩序(world orders)の弁証法的相互作用である。第一の三角形はグラムシ理論の縮図であり、第二の三角形はグラムシ理論の国際関係への応用であるとされる。後者はそそままでは分かりにくいのでいま少し敷衍すると、社会的諸力とは生産関係であり、国家形態とは狭義の国家と市民社会の関係、世界秩序とは国際レベルでのヘゲモニーの有無、国家間の戦争と平和の関係である。国際関係論では、コックスの解釈を経由してグラムシが導入され、「イタリア学派」が誕生するに至っている(Stephen Gill, ed., Gramsci, Historical Materialism and International Relations, Cambridge University Press, 1993)。

 前置きが長くなってしまったが、本論文は、国際関係理論へのグラムシの適用を批判的に検討しようとするのもである。ガーマイン(英ニューキャッスル大学)とケニー(英シェフィールド大学)は、次の三点について疑問を投げかけている。(1)イタリア学派のグラムシ解釈は適切か。(2)グラムシの鍵概念をイタリア学派が主張するように国際化することができるのか。(3)グラムシの概念は現代社会の分析に有用であるか。

 まず、グラムシの「獄中ノート」は体系的な書物ではなく、相互に矛盾する断片からなり、専門家の間でもその解釈をめぐって論争が繰り広げられていることは無視できない事実である。また、グラムシは国際関係にはほとんど言及していないし、彼の概念をコックスの言うように国際化できるか、あるいはコックスの第二の図式がグラムシの国際関係への適用と言えるのか、入念な検討が必要である。さらに、グラムシは彼の生きた時代を分析したのであって、彼の思想を歴史を超越した普遍的理論と見なすことには慎重でなければならない。要するに、グラムシの思想をそれが書かれた歴史的文脈から切り離して適用することの是非を、ガーマインとケニーは問題にしているのである。

 彼らが提起している問題は、グラムシに限らず、古今の哲学者や歴史家の思想を社会科学に導入する際、ほとんど不可避的に生ずる難問である。ここでは便宜的に問題を二つに分けて考えることができよう。第一は、その思想の解釈の問題であり、厳密なテキスト批判にもとづいて、解釈の幅を一定の範囲に収斂して行くという課題である(ガダマー Hans-Georg Gadamer 以降、解釈者自身の背負っている歴史的・文化的伝統から離れて対象そのものをあるがままに捉えることの不可能性が広く唱えられているが、これもまたポスト近代を生きる我々の担った時代制約なのであろうか。Richard Shapcott, "Conversation and Coexistence: Gadamer and Interpretation of International Society," Millennium, Vol. 23, No. 1, 1994, pp. 57-83)。第二は、思想解釈の適否はひとまず横に置いて、思想にインスピレーションを得た分析枠組みが、現実社会の理解に有効であるかどうかという実証的問題である。コックスら、ポスト実証主義者は発見の文脈と正当化の文脈を区別して、観察結果と理論的予測との一致如何によって理論を検証することは拒否するであろう。ポスト実証主義者は、理論を観察で得られた「事実」によって打ち倒すことはできないと考える(観察の理論負荷性の問題)。しかし、彼(女)らも自分達が信奉する理論が現実社会の分析や、社会秩序の変革に役立つと考えているのだから、その意味で理論が現実世界との関係において評価されるべきことに異論はないはずである。

 イタリア学派のグラムシ解釈に問題があるかもしれないが、イタリア学派はグローバリゼーションの進展する現代国際関係の理解に有益な方法を提供している。生産関係、国家/社会関係、世界秩序の相互作用を捉えようとするイタリア学派の分析枠組みは、企業活動の多国籍化、国際資本の利益を国益とみなす先進資本主義諸国の活動、国益実現のためにWTO(世界貿易機関)などを通じて市場の自由化を進める制度化の動き、またこれに対抗しようとする市民運動・社会運動の展開といった、今日の世界政治の諸側面を把握するのに有益な視角の一つである。資源、産業、科学技術などの物質的能力のみならず、世界を意味づける理念・思想の力に着目するイタリア学派のアプローチは、理念・思想を中心概念とするもう一つのアプローチであるコンストラクティビズムとともに、国際関係理論の主流派に対する対抗ヘゲモニーとなりうる潜在力を秘めている。

(中沢 力)

発表:『国際問題』1998年10月号

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