国際規範のダイナミクス

Martha Finnemore & Kathryn Sikkink, International Norm Dynamics and Political Change. (International Organization, Vol. 52, No. 4, Autumn 1998, pp. 887-917.)


 国際政治で規範の果たす役割への関心が高まっている。規範とは、共同体の成員に期待される適切な行為の基準のことである。規範は、人間が直接見たり触れたりできる物質(material)ではなく、人々の頭の中に存在する観念(idea)である。しかし、個人的な想念とは異なり、規範は社会的に共有される何ものかである。規範は、客観的(objective)な存在でも、主観的(subjective)な存在でもなく、相互主観的(intersubjective)な存在であり、共同体を構成する各行為主体が規範を実践する限りにおいて存続する。

 ここでは国際規範の社会的構築過程とその国際政治への影響を検討した、フィネモア(ジョージ・ワシントン大学準教授)とシィキンク(ミネソタ大学教授)の共同論文を取り上げる。彼女らは、婦人参政権運動や国際戦争法をめぐる経験的研究から帰納して、主に次の三点を論じている。第一に、近年の観念論的「転回(turn)」とされるものの実体は「回帰(return)」であり、決して新しいものではないこと。第二に、規範の誕生・拡散・内面化に関する、規範のライフサイクル説の提示。第三に、規範と合理性概念の関係の再検討、である。

 規範問題は、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの頃から、政治研究の中心であった。国際政治学においても、大戦間期の理想主義者たちはいうまでもなく、古典的リアリストである、カー(E.H. Carr)やモーゲンソー(Hans Morgenthau)も規範や道徳を論じていた。国際政治学者の関心が規範から離れたのは、一九五○年代以降米国を中心として社会科学全般に吹き荒れた、行動主義革命の影響であった。社会科学を自然科学の方法に準拠させようという崇高な理想を掲げた行動主義者たちは、存在(〜である)と規範(〜すべきである)との厳密な区別を要求した。また、規範と規範に基づいた行動は数量的に測定することが困難であった。しかし、行動主義の限界が明らかになるとともに、自然科学を含む科学像の転換、いわゆる科学の解釈学的転回がなされ、国際政治学・関係論においても八○年代後半からの「第三論争」を経て、規範への関心が復活したのである(拙稿「『第三論争』再考」、参照)。

 本論文の最大のセールスポイントは、規範のライフサイクル説を提示したことである。これまで個別の経験的研究で論じられてきた議論を再構成したものであり、完全な独創とはいえないが、評者の知る限り、これまでで最もよく整理された仮説群である。規範ライフサイクル説の要点を付表「規範の諸段階」に示す。フィネモアとシィキンクは、規範の発展過程を三段階に区分し、各段階ごとに異なった行為の論理が支配している、と論じている。

 第一段階は、規範の誕生期である。この時期には、規範企業家(norm entrepreneurs)の活躍によって、社会的文脈においてどう行動するのが適切であるかを決める「枠付け(framing)」がなされる。規範企業家の例として、国際赤十字社を設立し、戦時における傷病者看護団の中立と捕虜の人道的待遇を国際規範として確立するのに尽力した、デュナン(Jean Henri Dunant)が挙げられる。第一期において規範を守る動機は他者に対する共感などであり、規範を広める手段は説得に訴えて新しい規範への帰依を迫ることである。

 第二段階は、規範の加速度的浸透である。社会の成員が次々と雪崩をうって規範を受容する過程を、フィネモアとシィキンクは「規範カスケード(norm cascade)」と呼んでいる。第一段階と第二段階の間に「閾値(tipping point)」があり、この閾値を超えられたものだけが社会規範となりうる。経験的に、共同体構成員の約三分の一が改宗したときを境にして、規範の社会全体への浸透が見られるという。彼女らはいくつかの仮説を検討しているがまだ決定的な定説はなく、第一段階から第二段階に至る過程の理論的解明は、今後の研究成果が最も期待される分野の一つである。第二期では、主要な行為主体が個人や非国家主体から国家や国際組織に移り、正統性や名声を求めて国家が自発的に規範を受け入れてゆく。このメカニズムは、社会の一員としてのルールを身につける「社会化(socialization)」に他ならない。

 第三段階では、規範の内面化(internalization)が進行する。この段階になると、規範に従うのは当然のこととされ、規範があることさえ意識されなくなる。例えば、現代の民主主義国家では成人女子に参政権を付与するのに議論の余地はなく、婦人参政権は民主主義国のアイデンティティの一部をなしている。逆に、婦人参政権を認めない国は民主主義国とはいえない。この段階になると、規範は社会に定着し、国内法制化され、その運用は専門家や官僚に任される。規範を守る動機が顕在的に意識されることはまれであるが、それは社会への順応といえる。規範遵守のメカニズムは、慣習に委ねられる。

 最後に、合理性(rationality)概念の再検討に触れておこう。第三論争の中で、ネオリアリスト・ネオリベラリストの合理主義者(rationalists)とコンストラクティビストらの自照主義者(reflectivists)とを対置する議論が広く行われた(拙稿「国際政治経済学の研究動向を回顧する」)。フィネモアとシィキンクは自他共に認めるコンストラクティビストであるが、この議論設定はコンストラクティビズムが非合理な行為に焦点を当てているかのような誤解を招くので好ましくない、と異議を申し立てている。規範の発展過程を経験的に研究してみると、規範企業家などの行動には目的―手段間の合理的計算が認められる。ただし、ネオリアリストらの想定する合理性とは大きく異なる点が一つある。それは合理主義者が所与、すなわち不動の定数と見なす自他の選好やアイデンティティそのものに働きかけてその変更を迫り、新しい規範を打ち立ててゆく行動様式である。これを彼女らは「戦略的社会構成(strategic social construction)」と名付けている。この用語は、これまでコンストラクティビズムが唱えてきた、規範やアイデンティティをめぐる社会的相互行為の核心をうまく言い当てている。

 本稿の冒頭で述べたように、規範は非物質的な存在である。戦略的社会構成の重要性が承認され、合理性概念が拡大されて、非物質的存在論が広く受け入れられるならば、ネオリアリズム・ネオリベラリズムはコンストラクティビズムにかなり近いものとなろう。すでに、合理的選択の方法論を維持しつつも、行為主体が最大化すべき効用関数に理念的変数を取り入れた研究も数多く発表されている。別稿「国際政治経済学の研究動向…」で指摘した通り、合理主義者と自照主義者の間には共約不可能性があり、完全に統合するとは思われないが、今後の対話は国際政治の実質をめぐり、いっそう実り多いものになることが期待される。

(中沢 力)

発表:『国際問題』1999年6月号

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