新しい「文明の基準」としての人権

Jack Donnelly, "Human Rights: A New Standard of Civilization?" (International Affairs, <London>, Vol. 74, No. 1, 1998, pp. 1-24.)


 本論文は、1997年5月に英キール大学で行われたジャック・ドネリー(デンバー大学大学院教授・国際学)による「ジョン・ビンセント記念講演」(John Vincent Memorial Lecture)を編集したものである。いわゆる「英国学派」(the English School)の伝統にのっとり、ドネリーは国際システムと国際社会を概念的に区別する。国際システムはパワー関係だけでも成立するが、国際社会の誕生には価値観の共有が必要であるとされる。ドネリーは、すでに英国学派の古典となった著作を引きながら、その共有されるべき価値観を「文明の基準」と呼ぶ(Gerrit W. Gong, The Standard of 'Civilisation' in International Society, Oxford: Clarendon Press, 1984)。古代ギリシアのヘレネスとバルバロイの概念、中華思想、イスラム世界の聖戦、ヨーロッパ列強の帝国主義などを思い浮かべればわかるように、文明を基準として世界を分割し、ふたつの世界に異なったルールを適用することは、古今東西広く行われてきた。「文明圏」では法的平等にもとづいた対等な関係が基本となるのに対して、自己の「優れた」文明を受け入れず、異なった価値観を持つ「非文明圏」に対しては強制と服従の非対称な関係が支配するのである。すなわち、文明圏のなかには国際社会が成立しているが、文明圏と非文明圏の関係は国際システムにすぎないということになる。ドネリーは、現代の国際社会に仲間入りするための要件として「人権概念」を取り上げ、これが新しい文明の基準になりつつあるのではないか、という仮説を提示している。

 ドネリーは、文明の基準を4つの理念型に分類する(下表「文明の基準の諸側面」を参照)。表の行は、文明の基準をどのような範囲に適用するかという観点からみた分類である。包括的 inclusive(普遍的 universal)とは世界のすべての国家に同一のルールを適用する考え方であり、排外的 exclusive(特殊的 particular)とは国家のグループ間の違いを強調し、それぞれの世界に異なったルールを適用する考え方である。表の列は、文明の基準にどのような実質的内容を求めるかという観点からみた分類である。積極的 positive(最大限 maximal)とは、文明の基準に達するためには、価値あると考えられている一定の要件を満たすことを国家に要求する立場であるのに対して、消極的 negative(最小限 minimal)とは、避けるべき否定的価値を逃れている国家をすべて文明の基準に達しているとみなす立場である。

 

 ドネリーはこのような枠組みを用意したうえで、19世紀、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期、第二次世界大戦後の世界という3期に区分し、それぞれの歴史的世界は順に、バーク的文明の基準、ホッブズ的文明の基準、ロック的文明の基準と推移してきた、と主張している。またドネリーは、第二次世界大戦後の世界、それもとくにポスト冷戦期に入って、人権概念が国際社会の一員として認められるための大切な要件のひとつになってきている、と論じている。その例証として、1970年代のカンボジア・ポル=ポト政権の自国民虐殺に対する国際社会の比較的冷静な対応と、89年の中国天安門事件、90年代の旧ユーゴスラビアの民族浄化やルワンダの虐殺を人道に対する罪として告発した最近の国際社会の対応の違いをあげている。そしてこのような文明の基準の変遷は、人類の道徳的進歩とみることができるとの見解を述べている。

 本論文は、今後真剣に検討されるべき重要な論点を提供している点で、優れた講義であるといえる。ここでは、人権という特定の概念を扱っているが、英国学派の広範な射程を持った研究プログラムのなかに、本論文を位置づけることができる。それは、国際社会は歴史的にヨーロッパ世界が地理的に拡大することによって成立してきたのであるが、国際社会が非ヨーロッパ世界をその内部に取り込むようになったとき、国際社会を律する規範はどのような影響を被るだろうか、ヨーロッパ起源の主権国家体系は変質せざるをえないのだろうか、といった問題群である。ホッブズ的文明の基準である国家主権概念によれば、すべての国家は法的に対等であり、各国家は内政に関して至上の決定権を持つとされるが、ある国家がロック的文明の基準に照らして好ましくない人権政策をとったとき、果たして国際社会はこの国家の内政に人道的介入をすることが許されるだろうか。この問題は別の角度から、次のように言い換えることもできる。すなわち、ヨーロッパ啓蒙思想に由来する自由や平等、個人の尊厳といった概念は、非ヨーロッパ世界にとって、喜んで受け入れられる普遍的な規範であろうか。それともヨーロッパ固有の価値観を、その政治的・軍事的・経済的・文化的パワーを背景に、非ヨーロッパ世界が押しつけられただけなのであろうか。これは、規範に対するふたつの立場、コスモポリタン(世界主義者)とコミュニタリアン(共同体主義者)とが鋭く対立する論争点でもある(Cf. Chris Brown, International Relations Theory: New Normative Approaches, New York: Harvester Wheatsheaf, 1992)。ドネリーは、人権概念の浸透を人類の進歩とみなしているが、こう結論づけるためには、さまざまな論争を乗り越えていかなければならないと思われる。

(中沢 力)

発表:『国際問題』1998年6月号

 

ORIGINAL CONTENTS に戻る