ガバナンスと情報の「商品化」

Edward A. Comor, Governance and the "Commoditization" of Information. (Global Governance, Vol. 4, No. 2, 1998, pp. 217-233.)


 情報通信技術の急速な発達と普及は、グローバル・ガバナンスにどのようなインパクトを与えるであろうか。数年前にロズノーは「分裂―統合秩序」("fragmegrative order" 分裂 fragmentation と統合 integration からなる造語)が現れつつあると論じた(James N. Rosenau, "Governance in the Twenty-first Century," Global Governance, Vol. 1, No. 1, 1995)。国家が依然として中心的役割を果たすことは否定しないものの、国家を越えるトランスナショナル・システムと国家内部に分裂をもたらすサブナショナル・システムとからなる複雑な統治構造が出現した結果、国家の制御力が低下している側面をロズノーは強調した。この「分裂―統合秩序」のイメージは、個人の情報収集能力・情報発信能力の増大、新たなコミュニティの誕生を含意し、民衆による統治のコントロールというリベラルな価値観と合致する一面を持っている。これに対してコモール(アメリカン・ユニバーシティ)は、世界情報産業秩序形成に対する国家の役割、とくに米国の支配的影響力を重視するとともに、情報格差の拡大に注目して、急速に進展する情報の商品化がデモクラシーへの挑戦を招いていると論じ、ローズノーに異議を唱えている。

 国際情報スーパーハイウェイ、世界情報基盤(Global Information Infrastructure)が喧伝される陰で、情報の商品化に伴って、次のような不均衡が進展しているという。一方で、少なくとも先進諸国では、大衆の利用できる情報の絶対量はすでに膨大な規模に達している。人々は、人類がかつて経験したことのない情報洪水の中にいる。他方で、専門家やビジネス向けのデータベースやニューズレターは高価であり、利用できる財力、知識、時間を持つ者は限られている。大衆向けの情報は「情報娯楽」("infotainment" 情報 information と娯楽 entertainment からなる造語)と呼ばれる、比較的質の低いものが大半を占めている。知的で有益な情報に接することができる階層と大衆との情報格差が生じている。

 情報はそれだけでは価値を持たない。情報を意味づけるには、解釈が必要である。そして解釈の枠組みを与えるのが知識であり、文化である。いま情報は、教養や人間の尊厳、より良い生き方を支えるものとしてではなく、消費されるべき「商品」と見なされている。一般に、経済力と政治力を持つ者が、この「AをBとみなす」という解釈過程を支配する。

 米国政府は、GATTウルグアイ・ラウンドのサービス貿易交渉、知的財産権交渉などを通じて、情報の商品化を世界に広めてきた。これは米国政府が情報通信産業とその最大の需要者である国際資本の代弁者になっている、ということである。世界情報産業秩序という民間の経済活動をめぐって、国家が集まって交渉し、情報の自由流通を原則とするレジームが作られた。既存の国家構造を媒介として、世界秩序は変遷する。特に米国が「情報を持てる者」の仲介者として果たした役割は、非常に大きなものがあった。

 「情報を持たざる者」の対抗ヘゲモニーは可能であろうか。コモールは、対抗ヘゲモニー形成に悲観的である。大衆が利用できる情報は刺激的で一時的な楽しみを提供するものが多く、これに喜んでいるうちに想像力、批判能力は減退する。情報革命の恩恵を享受しているように見えながら、彼(女)らは情報の受容者であって、供給者ではないし、情報とは何かを定義するのも彼(女)らではない。情報が商品と考えられるようになると、情報の流通に関する国内法、国際法、規制のルールは、大衆を市民(citizens)としてではなく、消費者(consumers)と見なすようになる。大衆はますます周辺化し、社会経済のガバナンスにかかわる見込みはほとんどないだろう。

 以上のような情報化社会のスケッチは、ローズノーの見取り図と対照的である。ローズノーは、上から下への一方的な情報の流通ではなく、複数のチャンネルを通じた双方向の情報の流れを描き、より民主的なグローバル・ガバナンスの可能性を論じた。これに対してコモールは、情報をめぐる「持てる者」と「持たざる者」の格差と、デモクラシーの危機を強調している。

 情報格差が拡大しているかどうかは、実証的な問題である。九八年八月に米商務省国家通信情報局は、米国内の人種や教育、年収などとパソコンの所有やインターネット接続などの情報能力との相関関係を報告書にまとめた(Falling Through the Net II: New Data on the Digital Divide)。この報告書によると、九四年と九七年を比較して、確かに米国では情報格差が拡大している。特に人種別格差が大きく、同じ所得階層同士で比べても、黒人やヒスパニックのパソコン所有率は相対的に低く、アジア系民族のパソコンの所有率がもっとも高い(白人はその中間)。これは米国内のデータだが、国際比較の結果がどうなるか興味深い。

 コモールは情報の商品化とともに、アメリカの消費文明が世界を席捲しているように論じているが、少なくともインターネットに関する限り、必ずしもそうとはいえない。インターネットはもともと対抗ヘゲモニーが生まれやすい文化を持っている(村井純『インターネット(氈E)』岩波新書、一九九五年、一九九八年)。たとえば、イランとトルコにまたがる少数民族であるクルド族は自分達の国家を持たないが、ベルギーやイギリスなどに設置したサーバーから情報を発信し、民族運動を支援している(Martin Irvine, "Cyberspace, Identity, and the Global Informational City." )。情報通信技術の発達は、世界を支配的な文化一色に染め上げるのではなく、少数民族、非欧米の国民文化といった比較的マイナーな情報を世界に提供するのにも役立っている。

 コモールは、知と権力の関係を力説するなど、フーコー(Michel Foucault)的な議論を展開しているが、実はグラムシアンである。グラムシ(Antonio Gramsci)は、理念、物質的能力、制度の弁証法的力学として歴史を捉えた。本論文でも、情報通信技術の発達(物質的能力)、情報の商品化(理念)、ウルグアイ・ラウンド(制度)の相互作用が描かれている。情報はそれだけでは価値を持たず、何らかの知識と結びつき解釈を経て理解されること、その解釈過程には権力が介在することの指摘は、この論文から学べるもっとも大切な点であろう。

(中沢 力)

発表:『国際問題』1998年10月

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