国際関係理論のコンストラクティビスト的転回

Jeffrey T. Checkel, Review Article: The Constructivist Turn in International Relations Theory. (World Politics, Vol. 50, No. 2, January 1998, pp. 324-348.)


 本論文は書評論文であり、論文の目的は、最近公刊されたコンストラクティビストによる実証研究を批判的に評価することである。チェッケル(オスロ大学)の議論を紹介する前に、コンストラクティビズムとは何かを簡単に説明しておく必要があろう。

 コンストラクティビズムは、92年に発表されたのウェントの論文(Alexander Wendt, "Anarchy is What States Make of It: The Social Construction of Power Politics," International Organization, Vol. 46, No. 2, 1992, pp. 391-425.)以降、国際関係理論で注目を集めるようになった、社会学に起源を持つ新しいアプローチである。コンストラクティビズムは、主流理論であるネオリアリズム・ネオリベラリズムに対する根本的批判を含み、国際関係論にパラダイムシフトをもたらす潜在的可能性に関心が高まったが、その主張を実証的に裏付ける研究が少なかった。近年、この状況が変わりつつあり、コンストラクティビズムは、ネオリアリズム・ネオリベラリズムに取って代わるとまでは言わないまでも、国際関係理論の支柱の一つとしての地位を確立しつつある。

 コンストラクティビズムの中心的前提は次の二点である。(1)エージェント(ここでは主に国家)を取り巻く環境は、物質的(material)であるとともに、社会的なものである。すなわち、環境は外から与えられるものではなく、国際社会を構成するエージェントによって相互主観的(intersubjective)に形成されるものである。この相互主観的な了解が、国際的な規範(norms)となる。(2)規範とは、ある状況下でどう行動するのが適切と見なされるかという、集団的な期待のセットである。社会的・文化的環境をエージェントがどう理解し、その環境の中でエージェントがいかにアイデンティティを確立するかというプロセスを通じて、規範が内面化され、エージェントは何が自己利益であるのかを環境から教えられるのである。

 コンストラクティビズムによれば、国益は国際的なパワー配分にもとづいて客観的に決まるのではなく、マテリアルな環境をエージェントが国際的な規範に照らしてどのように評価するかにかかっている、とされる。これは、ネオリアリズムやネオリベラリズムが、国益と環境(あるいは構造)を所与とし、その中でエージェントがいかに行動するかを説明し予測するための理論構築を目指していることに対する痛烈な批判となる。ネオリアリズムやネオリベラリズムは、構造の捉え方が、あまりに狭く、また静態的にすぎる。

 チェッケルのコンストラクティビズムに対する論評のポイントは次の三点である。(1)コンストラクティビズムは、国際関係論の理論的射程を広げた。アイデンティティの問題をポストモダニストから救出し、実証主義者に理解できる形で議論を展開して、主流派に対する挑戦を可能にした。(2)コンストラクティビストは社会的構造の役割を強調しすぎるきらいがあり、エージェントが構造に与える影響にもっと焦点を合わせるべきである。(3)コンストラクティビズムはあくまで方法(method)であって、理論(theory)たり得ていない。これはネオリアリズムやネオリベラリズムが合理的選択(rational choice)の方法にもとづいて、そこから実質的な仮説を提示しているのに比べて、現状ではコンストラクティビズムの劣っている点である。いつ、いかに、なぜ、規範や国益の社会的構成が問題になるのか、国家の行動や国際システムの変化のメカニズムはどのようなものか。これらの条件を明示する、実質的な中範囲の理論が求められている。

 チェッケルのコンストラクティビズムに対する批判はおおむね的を射ていると評者は考えるが、一つだけ気になる点がある。それはコンストラクティビズムの科学哲学的位置付けについてである。チェッケルは、コンストラクティビストは、ネオリアリストやネオリベラリストと認識論を共有し、異なるのは存在論だけである、としている。共有される認識論とは、実証主義的科学であり、因果論による説明である。また見解の食い違う存在論とは、エージェントと構造のどちらを存在論的に優位におくかという問題である。ネオリアリストとネオリベラリストは、エージェント(国家)を第一に考え、エージェントが集まって構造(国際システム)を作ると考えるのに対して、コンストラクティビストは構造がエージェントを作ると考える。

 しかし、チェッケルの存在論理解は、哲学的に皮相である。存在論にはいっそう深い議論が隠されている。それは、対象の世界が人間の認識とは独立に客観的に存在すると考えるか(実在論)、それとも人間が言語や科学理論の力を借りて対象の世界を構成すると考えるか(反実在論)、という哲学的論争である(反実在論は客観的事物の存在を否定するわけではない。人間は外的世界を表象を介してしか知りえず、客観的世界それ自体のあり方は、人間には不可知であるとする立場である)。

 チェッケルは(コンストラクティビズムの主唱者ウェントや書評の対象となったカッツェンスタインらとともに)、コンストラクティビズムは、実在論に基礎をおいていると考えているが、果たしてそうであろうか。また、コンストラクティビストは、認識論はネオリアリストと共有し、(エージェント-構造レベルの)存在論はポストモダニストと共有するというように、認識論と存在論を切り離して考えることができるだろうか。評者の考えは、いずれもノーである。国益や国際的規範のみならず、国際関係論を含む科学そのものが、社会的に構成されているのである。ポスト実証主義論争の教訓は、科学理論が対象世界のあるがままの写し絵ではなく、人間が作り出した社会的産物であるという、科学に対する反省をもたらしたことにある。科学者共同体の相互主観的認識が安定している、トマス・クーンの言う通常科学の時期は、実在論と反実在論の違いを意識する必要はなく、ふつうは問題にならないが、コンストラクティビズムの存在論的基盤はあくまで反実在論にある。そしてコンストラクティビズムの認識論は、真理対応説(truth as correspondence)をとる実証主義ではなく、真理整合説(truth as coherence)をとるプラグマティズムに依拠している。そう考える方が、方法論・認識論・存在論が一貫する。コンストラクティビズムも、現実世界を素材として理論構築を進めて行くべきなのは言うまでもないが、コンストラクティビズムが、科学的実在論に基礎付けられた実証科学に吸収されてしまう傾向を、評者は懸念している。

(中沢 力)

発表:『国際問題』1998年7月号

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