国家主権と人権規範
J. Samuel Barkin, The Evolution of the Constitution of Sovereignty and the Emergence of Human Rights Norms. (Millennium: Journal of International Studies, Vol. 27, No. 2, 1988, pp. 229-252.)
本稿執筆時点(一九九九年四月)で、NATO(北大西洋条約機構)軍による、ユーゴスラビア連邦に対する空爆が行われている。空爆の大義は、同連邦セルビア共和国からの分離独立を求めるコソボ自治州アルバニア系住民の人権を守るため、とされている。はたして、国際規範を侵した主権国家に対して、国際社会が制裁を加えることは正当化されるのであろうか。国際的基準に照らして国民の人権を保障していないと見なされた国家に対する軍事介入が認められるほど、国際人権規範は浸透し、国際社会は成熟したのであろうか。
バーキン(米コルビー大学客員助教授)は、右のような国家主権と国際人権規範をトレードオフの関係と考える問題設定そのものに疑問を呈している。従来国家主権は、法的概念として捉えられることが一般的であった。すなわち、一定の領域を支配する主権国家は、対内的に最高の意志決定権を保持し、対外的には対等の関係に立って、互いの内政には干渉しないことを原則とする。このような国家主権概念に立つと、国内問題である人権を根拠とした介入は(軍事介入に限らず)主権の侵害と見なされる。逆に、他国の人権を保障する名目で国際社会による内政干渉が一般化すれば、それは主権国家体系そのものの衰退を意味する、と考えられる。これに対して、バーキンは、国家主権を法的・静態的に捉えるのではなく、国家が国際社会でその存在を認められるために満たすべき要件、正当化の基盤を歴史的・動態的に把握するべきである、と論じている。
国家主権は、社会的構築物であり、社会制度の一つである(Cf. Thomas Biersteker & Cynthia Weber, eds., State Sovereignty as Social Construct, Cambridge University Press, 1996)。国家主権は人間の認識を離れて客観的に存在するのではなく、相互主観的な理解にもとづいて初めて存在価値を持つ。国際システムにおいて権力が主権者となるのは、他の権力がその主権を承認したときに限る。バーキンによれば、国家が主権を維持するためには、国民と国際社会の双方から正統性を認められねばならず、その正統性の論拠は歴史的に変遷してきたという。
彼は主権国家体系誕生以来の国際社会の歴史を、国家主権の正統性を支える原理の変化に即して、次の五期に区分している。(1) 三十年戦争後のポスト・ウェストファリア体制期(一七世紀半ば〜一九世紀初頭)、(2) ナポレオン戦争後のウィーン体制期(一九世紀初頭〜一九世紀末)、(3) ウィーン体制崩壊から第二次世界大戦勃発までの時期(一九世紀末〜二○世紀半ば)、(4) 第二次世界大戦後の冷戦期(二○世紀半ば〜二○世紀末)、(5) ポスト冷戦期(二○世紀末〜)である。一般に、歴史の分岐点には大戦争や革命があり、各期ごとに世界のパワー配分のみならず、認識枠組みも変化し、国際関係のパターンは大きく変質した。
第一期における国家主権の正統性は宗教に求められ、また、国家は支配者である国王と同一視された。主権者は普遍的なローマ・カトリック教会の権威から解放されて、宗教の選択は主権の下におかれた。これは長期にわたってヨーロッパを苦しめた宗教戦争からの教訓であった。国際関係は国王同士の関係に他ならず、紛争解決の手段として傭兵による戦争や、国王の一存による領土取引が行われた。
第二期には、フランス革命とナポレオン戦争の混乱期を経て、ウィーン体制・神聖同盟が成立し、王政が主権国家の構成要件となったが、もはや国家を国王の私有物と見なすことは許されなかった。第三期には、ナショナリズムと民族自決が国家主権の正統性の源泉となった。民族分布と既存の国境は一致しないことが多いから、ナショナリズムが高揚したこの時期は、戦争が多く、国際システムは不安定であった。第四期は米ソ冷戦期に当たり、第三期の行き過ぎた民族自決に対する反省から、主権国家の正統性は固定した領土に求められた。一定の領域を実効的に支配していれば、その政治体制の如何に関わらず、国際社会から主権国家として承認された。
冷戦の終結を契機として、主権国家の領土的正統性が崩壊し、正統的主権の拠り所として人権規範が受け入れられつつある、というのがバーキンの見解である。彼の論理によれば、人権規範が、国民ならびに国際社会から主権国家として認められる要件となれば、人道的介入は国家主権の侵害には当たらない。なぜなら、そのような介入を招くような国家は、そもそも「主権」国家ではないからである。
国家主権を領土内における排他的至上権として絶対視せず、国家主権の内容が歴史的に推移してきた、というバーキンの論旨は興味深い。冷戦終結後に、なぜ民族紛争や領土変更要求が噴出するようになったか、説得力ある説明を提供している。
また、バーキンは簡単に触れているだけだが、言説とパワーの関係も忘れてはならない。「人権を守るべし」という規範は客観的・普遍的真理ではない。仮にそうなら、有史以来、人間社会の組織原理となってきたはずである。人権規範も、世界の一つの見方、言説の一つにすぎない。言説の裏には必ずパワーが潜んでいる。国際関係で規範を重視すると、理想主義・空想主義と誤解されることがあるが、バーキンは決してパワーを軽視しているわけではないことを指摘しておきたい。
しかし、コソボ問題を見る限り、軍事介入を正当化するほど、人権規範が国際社会に一般化したとは思われない(人権問題の解決に、はたして軍事的手段が有効であるか否かという別の論点もある)。ここで、バーキンが批判的に参照している『ウェストファリアを超えて?』の編者が提唱する一つの尺度が役立つだろう(Gene Lyons & Michael Mastanduno, eds., Beyond Westphalia? State Sovereignty and International Intervention, Johns Hopkins University Press, 1995, p. 261)。素朴なリアリズムから純粋なグローバリズムまでの連続線上に、国際的介入を正当化する論理をプロットする方法である。七段階に区分された正当化の論理は、リアリズムからグローバリズムに向かって、(1) 力は正義なり、(2) 自己保存、(3) 当事者政府の同意、(4) 当事国における統治権力の崩壊、(5) 国際共同体のコンセンサス、(6) 普遍的価値や普遍的原理、(7) グローバルな統治権力、である。奴隷貿易や麻薬取引の禁止のように、問題領域によっては、グローバリズム(右の (5) ないし (6) )に依拠した統治構造がみられるものもある。しかしながら現状では、人権規範はそこまで内面化・制度化が進んでいない。この物差しを利用して、問題領域による規範の受容度の違いは何に起因するのかを検討してみるのも有意義であろう。
(中沢 力)
発表:『国際問題』1999年5月号